1941年  山峡の釣 やまかいのつり  澤令花 黒澤榮 鈴木魚心 共著


個人的影響受けた度★★★★★

湯川度★★★★

フライ専門誌の方で全体的な感想をメモっておきましたが、この本の湯川度も中々のものです。

特筆すべきは、見返しの湯川含む奥日光の釣り場のイラスト!

これが素晴らしすぎます。

湯川の釣り地図としては、1979年度のアウトドア誌に掲載された斉藤融氏のものが素晴らしいと思っていますが、この澤令花氏のイラスト地図も素晴らしいです。

いままで湯川の地図は、内水面配布リーフレットをはじめ幾多見てきましたが、こんなに美しいインパクトのものはありません。

あくまでも 個人的にですが湯川の地図で思い入れがあるのは、前記の斉藤融氏版、私の描いた「湯川という迷宮へ」オリジナル版、そしてこの澤令花氏版の3地図です。自分で描いた地図を大家と並べるのはおこがましいのはわかっていますが、技術的には稚拙であろうとも思い入れだけは絶対の自信があるので、わざと記載します。稚拙であろうとやっぱり自分の感性で表さないと気持ちは伝わらないですよ。

で、このイラストは伝わってくるんですよね。

湯川に対しての思い入れが。

こんなの湯川が好きで、そこで釣りをした人で、絵が上手くて、センスのいい人じゃないと描けませんよ。

単に絵が上手い人でも描けないでしょうし、湯川の釣りが好きなだけの人だって描けないです。天から二物を与えられた人じゃないと。

そうこの澤令花氏は、与えられちゃったんじゃないですか。二物を。

この見返し部分だけ額装にしても充分通用します。

湯ノ湖、湯川、中禅寺湖が描かれています。

地図として使うのは厳しいですが、途中で川が別れているところがあり、気になりますが、昔はそういう所もあったんでしょうね。

湯ノ湖にはレイクトラウト(これ本物の中禅寺湖にいるようなレイクじゃなくって、本マスとかじゃないかなあ、と思うんですが)、湯川にブルックトラウト、中禅寺湖にレインボウトラウト(本文中の ニジマスの表記は「レンバントラウト」です)が可愛く描かれています。

そして周りの木々や山、鳥や鹿。それにテントやヨットまで描かれていて、第二次世界大戦前の平和で鮮やかな避暑地日光が、目に浮かぶ様ですよ。

貴重な写真も掲載されています。


この本の表記によりますと、湯川は我が国唯一の鱒釣り漁場で一つのポイントで200匹の魚がいる。

この頃は川鱒はあまりいなくて、ニジマスが多く、ヒメマスも釣れる。

等という非常に興味深い記述が見受けられます。

その他にも昭和16年当時の湯川の釣り事情が、あちこちからわかります。

澤令花氏のエッセイ「ニジマスの自殺」の注釈には、遊漁料が記載されています。

それによると湯川の釣りは、釣り方により、遊漁場所や料金が違っていたようです。

忘れそうなのでメモっておきましょう。

竜頭の滝から戦場ヶ原まで特設釣り場 1日5円(圓)

エサ釣り 戦場ヶ原から第一東屋まで 1日3円(圓)半日2円(圓)

毛鉤 第一東屋から湯滝まで 1日4円(圓)

当時の物価は、開戦直前ということもあり非常に分かりづらいというか把握しきれないのですが、同所の釣り場案内によると、那珂川水系の箒川の入漁料が1日1円(圓)と記載されています。仮に1円(圓)を1000円換算しますと、湯川で1日フライフィッシングだと4000円ですかね。

この金額が高いか安いかは正直微妙ですが、ここで分かったのは、当時から湯川は釣り場としては大変人気があったものの特殊な釣り場であったということでしょう。

つまり「魚が沢山いて釣り環境の良いしっかり管理された釣り場」だったようです。

まあ、奥日光まで行くのも大変な時代だったようですが、そういう所に行って大枚を出して釣りを楽しむというと、やはりそれなりの方々が多かったようですね。

 
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