1941年 山峡の釣 やまかいのつり 澤令花 黒澤榮 鈴木魚心 共著
世間的には1941年発行の毛鉤釣教壇から1974年発行のフライ・フィッシング全科までの30数年間、フライフィッシングの専門誌は発行されていないことになっているようです(除く ベースボールマガジン社 新しい毛鉤釣り)。
たしかにフライフィッシングの事だけというか、本の大部分をフライフィッシングの情報が占める書籍は、現在私には確認できていません。
この山峡の釣も、釣りの本ではありますがフライフィッシングがメインではありません。
しかしその内容たるや、自称現在のフライフィッシングオタクこと、この私がたった今読み直してみても、非常に興味深いものなのです。
それも、内容はもちろん装丁というかビジュアルというか、イラストが凄いです。
とりあえず思った事をメモっておきます。
まずは内容を。
フライフィッシングについては、鈴木魚心氏がかなり詳しく述べられています。
鈴木魚心氏は後記しますが、1974年にフライ・フィッシング全科を出版されていて、私的には当時さほど感化されていなかったのですが、本書を読んで認識を新たにしました。正直1974年のフライ・フィッシング全科は、毛鉤釣り教壇から30年の時間が進んだ内容だとは感じられなかったからです。それどころか、毛鉤釣教壇の内容が読んでいる間ちらついたり、記載されている情報内容が、当時読んでも古い印象を受けたからです。
ところが、この山峡の釣の鈴木魚心氏の文章は、新鮮で輝いています。毛鉤釣り教壇の影もちらつきません。
毛鉤釣教壇が1941年3月20日発行(奥付)。山峡の釣が1941年7月23日(奥付)。発行が4ヶ月ほどしか違いませんので、この本に限っていえば、毛鉤釣教壇のインスパイアは考えにくいと思うのですが。
もちろん、金子正勝氏と鈴木魚心氏の関係は伺いしれないのですが、昭和16年当時、日本でフライフィッシングを行っている著名人など、極々少数だったでしょうから、お互い何らかの影響はうけあっていたのは考えられます。
それでも鈴木魚心氏が当時の日本のフライフィッシングに与えた影響は多大なモノであることは容易に想像がつきます。
この本においても、限られた頁数の中で、かなり突っ込んだ解説がされています。
タイイングやキャストの解説、そしてフライラインの製作方法など、グッとくるものがあります。
毛鉤釣教壇にしても、本書山峡の釣にしてもとてもこれが1941年、昭和16年に出版されたとは思えない内容です。カタカナ表記とか沢山使われますからね。
この年の12月に開戦された太平洋戦争前は、こんな感じの文化だったんだろうなあ、というのがひしひし伝わってきます。
戦時中は野球の用語なんかも「よし!」「悪球!」とか言ってたわけで、これがフライフィッシングになんかに当てはめちゃったら、どんなんなっちゃうのか。
戦時中にフライフィッシングなんかのことは、口に出すのははばかれたろうし、考えることさえ許されなかったんだと思います。
ということで、この本は1970年代に入るまで、一般的ではなかったフライフィッシングという文化を扱った本の中では、もっともモダンなものだったと思われます。
そしてその内容の充実度も、先の毛鉤釣教壇にひけを取らないぐらいなものでした。
そのモダンさが伝わってくるイラストですが、表紙はもちろん最初と最後の見返し部分に、心奪われます。
ヤマメが虫を見つめていますが、水に映り込んだ木々でしょうか、逆さまに描かれ「山峡」という感じが出ています。
最後の見返しも白樺のような木々の中に流れる水と、ちょっと可愛い小動物が描かれています。
このような明るい色調の釣りのイラストが、今から70年以上も前に描かれて、本として出版されていたなんて、正直驚きました。
これらの素敵なイラストは、澤令花氏によるもので、資生堂の意匠部を退職し、映画雑誌等のオシャレな表紙イラストや紙芝居等の作品を残されたいるようです。
そして無類の釣り好きだったようで、この本にもイラストの他、エッセイや釣行記なども寄稿しています。
絵も文も素晴らしいです。
というような感想なのですが、わざと触れていない部分があります。
湯川の事です。
その件に関しては、別頁「湯川資料館」でメモっておこうと思います。